マリア・モンテッソーリが今から約100年前に始めた教育は、いまもなおモンテッソーリ教育法として受け継がれている。
アメリカに住む子どもを持つある女性が、数多くのプリスクールやモンテッソーリスクールを訪問し、モンテッソーリ教育の実態を見てまわったという。そこで沸いた疑問をまとめている。その内容は、モンテッソーリ教育というものに興味を持ち、一度は我が子にどうかと考え真剣に調べたり見聞きした結果、通わせなかった保護者に共通で浮かぶ不安要素である。その内容がこちら。
所 感
モンテッソーリ教育を取り入れているスクールは、家の様なこじんまりしたところもあれば大規模な設備を持つところもあり、どっぷりとモンテッソーリ教育を実践しているところもあれば、軽く取り入れているところもあるなど、みんなまちまちである。
一児の母として、また、自らが幼い生徒になったことを想像しながら観察してみた。そして、いくつかの共通した疑問が湧いてきた。
高額な学費のエリート主義
モンテッソーリの教材として販売しているものは、比較的高額であり、とくに高品質のものはとても高い。皮肉なことだが、医師であるマリア・モンテッソーリが教育手法を子どもの治療から孤児などの子どもたちに広め始めたころは、木製の教材が手頃で手に入れやすいという理由で使われていた。
今日のモンテッソーリスクールは、そのほとんどが私立であり学費は一般的なスクールに比べて高額となっている。
社交性
モンテッソーリでは、年齢に応じた『仕事』(子どもの学びや遊びなどの活動を仕事と呼ぶ)を通して自立することを学ぶ。モンテッソーリのスクールにいる子どもたちは、とてもしっかりしているようにみえる。しかし、気になることは、教室の中がとても静かで、モンテッソーリを厳格に取り入れているところほど教室内は静かだ。理由はひとりで作業をしている子どもが多く、グループでも2、3人の少人数であるため。少し大きなグループになると今度は先生が入ってくるシチェーションとなる。
子ども達は教室内では、『仕事』をすることが優先になり、クラスメイトとの交流を通して身につく問題解決力や社会性などは重要視されていないようだ。子ども同士の交流は、小学校に進学する前に友達とふれ合い方を身につける重要なことではないだろうか。
創造的発想
4歳になる女の子が初めてモンテッソーリのクラスに入った時の記事を目にした。4歳の女の子は、モンテッソーリの仕組みを知らないので、教材を他のエリアから持ってきて混ぜて使い始めた。すかさず教師は、その子におもちゃの使い方を伝え、その創造的な遊びを止めたという。するとその子は、おもしろい遊び方を見つけているんだ。と強く言ったそうだ。その後、教師は迎えに来た保護者に彼女はこのスクールが好きじゃないみたいだと伝えたという。
モンテッソーリでは、教室内の教材やおもちゃは置き場や並べる順番が厳格に決められている。これは気になるところだ。自分たちの環境を認識することは素晴らしいことではあるが、おもちゃで楽しく遊んだり新しい世界を創造するのとは別物のような気がする。
『教育ママ』? 『ゆるまま』?
モンテッソーリでは、文字を読み始めるのは10歳になってからだと聞いた。それは、クラスルーム内での活動は、基本子ども自身が決めるというスタイルであるため、まず子ども自身が読みものを選ばないということだという。
一般的なプリスクールでは、3歳半から4歳位には文字を読み始め、4歳から4歳半には興味のある子どもは、数の基本的な足し算引き算の簡単なものを覚え始める。しかし、モンテッソーリでは、そのような半強制的なレッスンはない。ただし、「仕事』の中に勉強に触れる機会はあるというものだ。多くのモンテッソーリに子どもを通わす親は、この点がお気に入りのようだ。
自分自身がアカデミックな勉強にこだわるのだが、モンテッソーリに子どもを通わす親の方が、教育ママなのではないだろうか。
教育法は世界中に様々あり、短所・長所もそれぞれにある。短所と言われることが必ずしも良くないこととも限らず、長所も子どもによっては合わないということもある。どんな教育法も同じだが、総合的に見て判断するしかないのではないだろうか。
Source: quora